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  • レッスン185

私は神の平安を望む

この言葉を本気で言って癒されないものはない。
彼が夢と戯れることはできず
自分自身を夢だと思うこともありえない。
自分で地獄を作り出し、それが実在すると思うこともありえない。
彼は神の平安を望み、それが与えられる。
それが彼の望むすべてであり、受け取るすべてだからである。

真理の中でのみ、心は心とつながることができる。
夢がもたらすことができるのは妥協だけである。
心と心は夢の中では融合することはできない。
ただ、駆け引きをするだけである。
幻想が、神の座を奪うことになる。
自分の利益と他者の損失のために妥協しようとする眠った心には
神が意味するものが見失われてしまう。
神の平安を望むと本気で言うことは
一切の夢を放棄することである。

平安こそが自分の望むすべてである、と本気で言う心は
必ずほかの心とつながることになる。
この言葉を本気で言うことは
幻想が空虚だと認めることであり
はかない夢のかわりに、永遠を求めることである。
平安はあなたのために創造され、平安の創造主からあなたに与えられ
創造主の永遠なる贈り物として確立された。

神の贈り物が誰かによって求められ、受け取られたとき、失うものはひとりもなく
必ずすべての者が恩恵に浴する。
神はひとつにするためだけに与える。

今日、私たちが追求するのはこの一なる意図である。

それは私たちの願望を、すべての胸の必要性と合一させ
すべての心の叫び 絶望の向こうにある希望 攻撃が隠そうとする愛
そして、憎悪が切り離そうとしたが
今も神が創造したままに存続している兄弟愛と合一させる。

傍らにこうした助力がありながら
今日、私たちが神の平安を要請してそれが得られないということがあるだろうか。