レッスン137

私が癒されるとき、私ひとりが癒されるのではない

今日の主題概念は、救済が依拠している中心的な考え方を表している。

癒しとは、病気や分離された状態にこだわり続ける世界のさまざまな概念とは正反対のものだからである。
病気とは他の人々から遠ざかることであり、繋がり合いを遮断することである。
それは個別の自己の前に閉ざされる扉となり、その自己を孤立させて孤独なものにする。
病気とは孤立である。
心は小さく切り離されて、病んだ肉の塊という堅固な壁で隔てられた無数の断片と化す。
断片化した心は、その壁を乗り越えることができない。

しかし癒しは、再びひとつになろうという彼自身の決断であり
自らのすべての部分を攻撃されることも損なわれることもなく
保っている彼の真の自己を受け入れようという決断である。

癒しは、夢に対抗する夢と呼ぶことが出来る。

一度も存在したことのないものと入れ替わるために実相世界が現れるのと同じように
癒しは夢が真理の写し絵として書き出す仮想状態と誤った想念を
本来あるべき状態に復元するだけである。
癒しは簡明な真理の前では必ず、あなたが抱いている病気という空想と入れ替わる。

癒しは自由そのものである。
癒しは強さである。

癒すこと、赦すこと、そして悲観の世界のすべてを、悲しみが侵入できない世界と喜んで交換すること。

この3つがあ聖霊に従うようにとあなたに促すための聖霊の手段である。

聖霊があなたから求めるほんのわずかなあ強力は、
これまであなたに苦しみをもたらした一切から
あなたを自由にするためのものであり
あなたがそれを差し出すとき、聖霊の生命は、あなた自身の命となる。

そして、あなたが癒されるとき、あなたが受け取る贈り物を、数限りない人々が受け取るだろう。

癒しを世界に運び、呪いを祝福に
苦痛を喜びに
分離を神の平安に取り替えられるようになる。

☆私が癒されるとき、私ひとりが癒されるのではない。
 私の唯一の自己である神のひとり子の心から病気が追放されるように
 私は自分の癒しを世界と共有したい

今日こそ、癒しがあなたを通して行われるようにしよう
静けさの中で休息しながら、自分が受け取ったように与えるための準備をしなさい

☆私が癒されるとき、私ひとりが癒されるのではない。
 私は兄弟たちを祝福したい。
 彼らが私とともに癒されるとき、私も彼らとともに癒されたいのだから。

癒されて、みんなで健康に生きましょう!(*^^*)